写楽通信

更新日:2009.09.15

やさしい祖母…鬼のような母親

私は、周南市でエステティックサロンを営んでいる 河村公美枝 と申します。正直言いますとあまり人には話したくない事ですが、あなたとの信頼関係を築きたいので、子供の頃の事を話します。

私は北九州門司区で、戦争の真っ只中、昭和18年8月15日に長女として生まれました。しかし、2歳になった歳に、6歳年上の兄と私を残して、弟をお腹に抱えた母は離婚して大分県宇佐郡の実家へ帰ってしまいました。祖父と祖母に育てられた私は、不敏な孫だと思っていたのでしょうか?一日中かたときも離さず、祖母の背中におんぶされていたらしく、祖母の食事中は、背負われたまま上からいつも眺めていたのを、うっすらと覚えております。

小学校入学式の前日の夕方、母は兄と私を迎えに来てくれました。母は時々、私達に会いに来てくれていたそうですが、幼かった私には、ほとんど記憶に残っておりません。

母の里 大分県宇佐郡まで、シュッシュッポッポッと大きな音を立て、黒い煙を吐いて走る汽車ですから、かなりの時間がかかったはずです。駅に着いたのは、夜も9時過ぎで 母は大きな風呂敷を背中にかつぎ、私と兄を連れて暗い夜道をトボトボと・・・。子供の足ではかなり遠い道のりで、家に帰り付いた時は疲れきっていた記憶があります。翌朝の入学式の小学校までも、私の足ではかなり遠い道のりでした。

明治時代の教育者が父親だった母は、小学1年生の私にも 自分が厳しく育てられた教えを受け伝え、田舎弁は絶対使う事を許してもらえず 教科書通りの標準語でした。食事のマナーも、箸の持ち方から厳しく 歩く時も畳の縁を踏んではいけない等、目上の人に対する言葉使いやマナー・三つ指をついて「おやすみなさい。」中でも厳しくいつも言われた事は、『嘘をついてはいけない・人様に迷惑を掛けてはいけない。』田舎の小さい町で、もしそういう事をすれば ここに居られなくなるとまで言われました。

小学1年の女の子の私には、鬼の様な厳しいおばさんにしか見えず、優しかった父方の祖母にぬくぬくと育てられた頃とは正反対・・・。お母さんと呼ぶことすら、抵抗を感じているのに。でも、その鬼の様に厳しく口やかましい母も、時に私と弟の手を引いて夕涼みに出かけ、いつも口ずさむ歌は・・・♪♪お月様一人なの、私もやっぱり一人なの♪♪と歌いながら、すすり泣いていました。厳しい母も、かなしいんだなぁ~って子供ながら胸があつく成り、何か分からないままに 私もジ~ンとなり、もらい泣きをしてしまってました。

母子家庭で3人の子供を育てるのは、今と時代が違い世間に肩身の狭かった思いが、ひしひしと子供の私にも伝わって、『しっかりしなさい。人と同じ事をしていては駄目だ。自分に厳しく、人には優しく・・・』といい聞かされていたからこそ、今の私があるのだと思います。

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